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静岡地方裁判所 平成3年(ワ)86号 判決

原告

株式会社スーパーサンエー

右代表者代表取締役

島岡愿

右訴訟代理人弁護士

小長井良浩

被告

有限会社エム・エム・フーズ

右代表者代表取締役

渡邉光夫

被告

渡邉光夫

右両名訴訟代理人弁護士

奥野兼宏

河村正史

小倉博

主文

一  被告らは連帯して原告に対し、金三三二一万円並びに内金三〇二一万円に対する平成二年一二月一五日から支払済みまで、被告有限会社エム・エム・フーズにおいては年六分の割合、被告渡邉光夫においては年五分の割合による金員及び内金三〇〇万円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告らの、その余を原告の負担とする。

四  この判決の主文第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告らは連帯して原告に対し、金三億〇七七一万円並びに内金二億八五七一万円に対する平成二年一二月一五日から支払済みまで年六分の割合による金員及び内金二二〇〇万円に対する同年一二月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二  事案の概要(争いのない事実等)

本件は、店舗賃貸借契約の賃貸人と賃借人との間に、新築店舗建物を目的とする賃貸借契約の締結をするとの協定が成立し、従前の店舗建物が収去されたが、結局、新築店舗建物を目的とする賃貸借契約の締結がなされなかったことにつき、賃借人が賃貸人等に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。

(以下、証拠の掲記のない事実は当事者間に争いがない。)

1(一)  原告は、代表取締役である島岡愿(以下「島岡」という。)が営んでいたスーパーマーケット事業を法人成りさせて、昭和五二年四月六日に設立された会社であり、平成二年五月当時、清水市内において、石川店、永楽店、吉川店の三店舗のスーパーマーケットを経営していた。

(二)  被告渡邉光夫(以下「被告渡邉」という。)は、清水市石川本町一一二番一、宅地、430.68平方メートルほか四筆の土地(以下「本件建物敷地」という。)及びこれを敷地として建築されていた清水市石川本町一一二番地一・一一二番地二、家屋番号一一二番一、鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平家建店舗、床面積675.36平方メートルの建物(以下「本件建物」という。)並びに本件建物敷地に隣接する清水市石川字南寺軒一九一番の一、宅地、1082.54平方メートルの土地等(以下「一九一番の一の土地」という。)の所有者であり、また、精肉・総菜の販売等を目的として昭和六三年五月二五日に設立された被告有限会社エム・エム・フーズ(以下「被告フーズ」という。)の代表取締役である。

2(一)  島岡は、昭和四八年一〇月、被告渡邉から本件建物を賃借し、同月二九日から本件建物を店舗としてスーパーマーケット営業を開始し、同時に被告渡邉は本件店舗内で精肉・総菜等の販売業を開始した。

(二)  その後、原告が設立されたことに伴って、島岡の営んでいたスーパーマーケット営業の主体は原告に移行して、本件建物の店舗は原告の石川店となった。また、被告フーズが設立されたことに伴って、本件建物内の精肉・総菜等の販売業の主体は被告渡邉から被告フーズに移行したが、被告フーズは、さらに、本件建物に隣接して建築された独立の店舗建物において、平成元年七月八日から精肉・総菜その他の食料品販売の営業を開始した。

(三)  なお、原告及び被告フーズの設立後、本件建物賃貸借契約の当事者は、借主が島岡から原告に、貸主が被告渡邉から被告フーズにそれぞれ移行した。

3(一)  本件建物敷地は、清水市道大和町梅ヶ谷線に接していたところ、平成元年頃、同路線の改良拡幅工事を施行していた清水市から、その拡幅のための用地が本件建物敷地及び本件建物の一部に掛かるために、原告及び被告フーズに対し店舗移転の申入れがなされた。これに対し、原告は、平成二年三月六日、清水市との間で物件移転補償契約を締結し、原告が同月三一日(後に同年五月三一日に変更)までに本件建物内の物件を同工事の支障とならないよう移転し、清水市が補償金一〇五二万円を原告に支払う旨を約した(甲第四四、第四六、第四七号証)。また被告フーズも同年二月ないし三月頃、本件建物及び本件建物内の物件につき同様の移転補償契約を締結した(被告有限会社エム・エム・フーズ代表者兼被告本人渡邉光夫尋問(以下単に「被告渡邉本人尋問」という。)の結果、弁論の全趣旨)。

(二)  右各物件移転補償契約の締結に先立って、島岡と被告渡邉との間で、店舗の移転をどのようにして実現するか、またこれに伴い原告はどの程度の負担をするか等につき交渉がなされ、本件建物を収去して新たな店舗建物を建築することで合意して(証人千代良治の証言、原告代表者尋問及び被告渡邉本人尋問の各結果)、平成二年二月二八日に別紙一の協定書(甲第一号証)記載事項を内容とする協定(以下「本件協定」という。)が、原告と被告フーズとの間で締結された。

(三)  その後、右(一)の各物件移転補償契約の締結を経て、原告は平成二年五月二五日までで石川店の営業を停止し(甲第六四号証、乙第一〇号証、弁論の全趣旨)、同月二六日から開始された作業により本件建物は解体収去された。

4(一)  本件協定締結後平成二年八月末までの間に、島岡ら原告関係者、被告渡邉ら被告フーズ関係者並びに被告渡邉が新たに建築すべき店舗建物(以下「新築建物」という。)の設計を依頼した有限会社アド設計一級建築士事務所代表者(一級建築士)相川幸吉(以下「相川」という。)らが、新築建物の位置、構造、内部の配置、建築日程、原告の敷金支払時期等につき約一〇回にわたる協議を行った(乙第二号証、証人千代良治、同相川幸吉の各証言、原告代表者尋問及び被告渡邉本人尋問の各結果、弁論の全趣旨)。

(二)  右協議の過程で定まった新築建物の位置、構造等に基づき、被告渡邉(申請代理人相川)は、平成二年六月二〇日に新築建物の建築確認申請をし、同年八月一三日にその建築確認がなされた。なお、新築建物の位置(敷地)として予定されたのは一九一番一の土地を主体として、これに従前の本件建物敷地の一部を加えた土地部分であった(以上につき甲第七〇、第一〇一号証、乙第四、第七、第八号証、証人相川幸吉の証言、被告渡邉本人尋問の結果)。

(三)  平成二年八月三一日、被告渡邉が契約書作成を依頼した株式会社緑屋不動産(以下「緑屋不動産」という。)の事務所に島岡、被告渡邉らが参集し、緑屋不動産代表取締役桑原一雄(以下「桑原」という。)から、同人が起案し書面化した新築店舗に係る建物賃貸借契約書案(甲第二号証。以下「本件契約書案」という。)が島岡、被告渡邉らに交付されてその文案が示され、同人らの間で、最終的に同年九月四日午前一〇時に緑屋不動産事務所において、本件契約書案への調印、敷金及び保証金の授受を行うことが約された(緑屋不動産事務所に参集し、本件契約書案が示された日については、原告が平成二年八月三一日と主張し、被告らは同年九月一日と主張するが、これを同年八月三一日と認定した理由は後記のとおりである。)。

本件契約書案には。①貸主は被告渡邉、借主は原告であること、②賃貸借物件は、所在・清水市石川一九一の一の内、物件・鉄骨造り鋼板葺平家建一棟床面積620.47平方メートルの内であること、③賃料月額は九〇万円(ほかに消費税二万七〇〇〇円、なお賃料月額は二年目は月額八〇万円、三年目ないし五年目は月額八五万円とし、その後は協議により定める。)、敷金は一〇〇〇万円、保証金は一〇〇〇万円であること、④使用目的は店舗及び事務所であること、⑤賃貸借期間は平成二年一二月一五日から平成一二年一二月一四日までとすることなどの条項があった(甲第二号証)。

なお、被告フーズは元来被告渡邉の個人事業が法人成りした会社であって、原告及び被告らは、新築建物の貸主が被告フーズとなるか被告渡邉個人となるかは、本件協定の締結当初から全く問題にしていなかった。

5  島岡は、同人や被告渡邉らが緑屋不動産事務所に参集し、本件契約書案が示された日に、原告の取引銀行であり、敷金、保証金に充てる金員の融資を受ける予定の株式会社静岡銀行(以下「静岡銀行」という。)清水支店から原告に対して、権利保全のための文書の作成を提言されている旨を口頭で被告渡邉に伝えていたところ、平成二年九月三日に、島岡は被告渡邉に対し、右文書案として別紙二記載の文書(甲第三号証、以下「静銀文書」という。)を交付した。

6(一)  平成二年九月四日、被告渡邉は、午前九時四〇分頃に桑原を介して静岡銀行清水支店にいた島岡に対し電話で、また、その直後緑屋不動産事務所に赴いた島岡に対し口頭で、同日に予定されていた本件契約書案への調印並びに敷金及び保証金の授受を拒否する旨を通告した。

(二)  その後、被告渡邉は、平成二年九月一〇日付内容証明郵便(甲第四号証)で原告に対し、①新築建物に係る賃貸借契約の締結は、原告が静岡銀行に提出する必要があると嘘を言って被告渡邉に一方的に不利益な静銀文書に署名捺印させようとしたことが原因で締結不能となり、被告渡邉は原告に対し強い不信感を有している旨、②原告に対し、どのような理由、動機から被告渡邉に静銀文書を締結させようとしたか一週間以内に文書で明らかにするよう要求し、納得のいく回答のない場合には新築建物の賃貸借契約の話を進めることができない旨を通告した。

(三)  これに対し、原告は、平成二年九月一四日付内容証明郵便(同月一五日到達、甲第五号証の一)で被告渡邉に対し、①原告は、静岡銀行から融資を受ける際、未完成建物に係る多額の前渡金につき書面による権利保全の措置をとるべき旨の進言等を受けたものである旨、②原告としては合意に従い、工事を進捗するよう申し入れる旨の回答をした。

(四)  被告渡邉(代理人河村正史弁護士ほか二名)は、さらに平成二年一〇月二日付の御通知書と題する内容証明郵便(甲第六号証)で原告に対し、①平成二年二月以降の新築建物賃貸借契約に関する交渉の過程で、原告には被告渡邉との信頼関係を裏切る態度があったほか、静岡銀行備付書類で提出を要求されていると称して、約束にない条項の記載された静銀文書に被告渡邉の調印を要求した旨、②新築建物の完成時期が多少ずれ込むことのあり得ることは原告も承知であり、被告渡邉は、完成遅延に対し一日当たり七万円の賠償をすると原告に申し出た旨、③被告渡邉は、原告に対し本件協定を破棄し、今後原告と建物賃貸借契約を締結する意思がない旨を通告した。

なお、被告フーズ(代理人河村正史弁護士ほか二名)は、平成二年一〇月二三日付内容証明郵便(甲第九号証)で原告に対し、予備的に、右と同様の理由で本件協定を破棄する旨を通告した。

(五)  原告は、平成二年一〇月一一日付内容証明郵便(同月一二日到達、甲第七号証の一)で、被告フーズに対し、①右(四)の内容証明郵便で、被告渡邉が新築建物の完成遅延に対し一日当たり七万円の賠償をする旨を確認し得たので、静銀文書の問題は解決した旨、②よって、合意に従い工事を進捗するよう要請する旨を通知して、静銀文書の締結申入れを撤回した。さらに、原告は、平成二年一二月一五日付内容証明郵便(同月一六日到達、甲第一〇、第一一号証の各一)で被告らに対し、同年中に、本件協定に基づき新築建物の建築に着手するよう催告する旨の通告をした(甲第一〇、第一一号証の各一、二、弁論の全趣旨)。

7  新築建物は結局建築されず、原告は、従前の石川店に相当する店舗を再開することは果たせなかった(原告代表者尋問及び被告渡邉本人尋問の各結果、弁論の全趣旨)。

第三  争点

一  原告は、被告らに対し、損害賠償金として、石川店の営業が不能となったことによる一〇年間分の逸失利益(二億五五七一万円)、石川店喪失による取引先等の原告に対する信用の失墜等に伴う損害(三〇〇〇万円)及び弁護士費用(二二〇〇万円)の連帯支払を求めるものであるが、かかる履行利益の賠償を含む損害の賠償を求める根拠として、次のとおり主張する。

1(一)  原告と被告フーズとの間の本件協定は、現に原告が賃借して営業継続中の本件建物を解体収去しても、原告の営業が終了せず、新築建物においてこれが継続されること(かかる意味での営業権の保障)と、そのために新築建物を目的として賃貸借契約を継続することを主たる内容とするものであるが、本件協定所定の事項以外の新築建物の賃貸借契約の内容については事態の推移によって然るべく定められることを予定するものであって(本件協定は、新築建物を目的とする賃貸借契約において、被告ら側の内部事情により被告渡邉が貸主とされることもその予定に含んでいた。)、その意味でいわゆる基本約定である。したがって、本件協定の効力は原告が新築建物において実際に営業活動を継続するまで存続するものであり、新築建物を目的とする賃貸借契約が締結されたことにより終了するものではない。

(二)  平成二年八月三一日に桑原によって本件契約書案が原告代表者の島岡及び被告渡邉に示された際、島岡及び被告渡邉は、本件契約書案の内容を了諾した。賃貸借契約は不要式、諾成契約であるから、原告と被告渡邉との間の新築建物を目的とする賃貸借契約は、同年九月四日に予定された本件契約書案への調印をまたず、同年八月三一日に成立した。仮に右賃貸借契約が成立したといえなくとも、原告と被告渡邉との間に右賃貸借契約が成立したと同様の法律関係が成立した。

2  本件協定違反による被告フーズの債務不履行及び不法行為並びに被告渡邉の不法行為

(一) 被告フーズは、本件協定に基づき、原告との間で新築建物を目的とする賃貸借契約を締結して新築建物を建築し、又は被告渡邉に原告との間の賃貸借契約を締結させ新築建物を建築させた上で、原告に新築建物において営業を継続させる義務を負担したが(右義務の履行期限は平成二年一二月一四日と合意された。)、故意に右義務の履行をしなかったから、原告に対し債務不履行責任を負う。

(二) 被告らは、被告フーズにおいて原告と本件協定を締結し、原告が、現に営業継続中の本件建物が解体収去されても、本件協定により新築建物において営業の継続をなし得るものと信頼して、本件建物の解体収去に応じたことを承知していたにもかかわらず、本件建物の解体収去後に、何ら正当な理由がないのに、原告が静銀文書の締結を求めたことに藉口して、それぞれ本件協定を破棄する旨一方的に通告した上、新築建物の建築を行わず、故意に原告の本件協定上の地位を侵害し、原告の営業権を覆滅させた。被告らの右行為は、社会通念上一箇の行為と認められる一体性を有するから、被告らは原告の営業権の侵害に対し、共同不法行為責任を負う。

3  賃貸借契約違反による被告渡邉の債務不履行及び不法行為並びに被告フーズの不法行為

(一) 平成二年八月三一日に締結された賃貸借契約(又はこれと同視すべき法律関係)に基づき、被告渡邉は、同年一二月一四日までに新築建物を建築して原告に使用収益させるべき義務を負担したが、故意に右義務の履行をしなかったから、原告に対し債務不履行責任を負う。

(二) 右2の(二)で述べた事情の下において、被告らは、それぞれ平成二年八月三一日に締結された賃貸借契約(又はこれと同視すべき法律関係)に基づく義務を履行しないことを明らかにし、故意に原告の右賃貸借契約上の地位を侵害し、原告の営業権を覆滅させた。被告らの右行為は、社会通念上一箇の行為と認められる一体性を有するから、被告らは原告の営業権の侵害に対し、共同不法行為責任を負う。

二  被告らは、平成二年八月三一日(被告らの主張に基づけば同年九月一日)に新築建物を目的とする賃貸借契約が締結されたことを否認して、右契約に基づく原告の主張(債務不履行及び不法行為)を争い、また、本件協定の効力及び新築建物を目的とする賃貸借契約が締結されなかった事由につき次のとおり主張して、本件協定に基づく原告の主張(債務不履行及び不法行為)を争い、さらに、原告の損害の発生を争う。

1  本件協定の効力

本件協定は、被告フーズと原告とが互いに協力し、不当な事由がない限り、新築店舗を建築して、将来原告に物理的な意味での営業空間を賃貸することを約したという限度で効力を有するものであり、それ以上に、被告フーズが原告の営業の継続を保障するというような効力を持つものではないし、新築建物を目的とする賃貸借契約そのものでないことはもとより、その予約的な効力を有するものでもない。

したがって、本件協定の効力は、原告と被告フーズないし被告渡邉との間に新築建物を目的とする賃貸借契約が締結されれば目的を達して消滅するものである。

2  新築建物を目的とする賃貸借契約が締結されなかった事由

(一) 本件協定の締結前から、桑原によって本件契約案が示されるまでの間に、次のような経緯が存在した。

(1) 原告は清水市の市道改良拡幅事業に容易に協力しようとせず、そのため、被告フーズは困惑した清水市当局の要請を受けて、原告に早期に清水市との移転補償契約を締結させるため、本件協定を締結する交渉過程で当初三〇〇〇万円とすることを提示していた敷金額を二〇〇〇万円に減額し、また、新築店舗の開店まで、被告フーズの店舗で野菜及び果物を販売することを中止するなど、原告の要求に応ぜざるを得なかった。

(2) 本件協定締結後の交渉過程において、平成二年四月九日までに新築建物内部の配置(レイアウト)が定まり、同月一〇日から相川が設計作業を開始することになった矢先、島岡は、本件協定に定めがないにもかかわらず、原告の使用する倉庫として四〇坪の面積を要求し、併せてこの要求が容れられない限り、本件建物収去の日程協議に応じられない旨申し述べ、結局、この要求によって、設計作業の開始が四七日間も遅延することとなった。

(3) 平成二年八月九日、島岡は被告フーズに対し、同月二〇日になっても新築建物建築工事の着工がなされなければ、原告が被告フーズに対し訴訟を提起する旨申し述べた。

(4) 平成二年八月二九日の協議の際、島岡は、新築建物を目的とする賃貸借契約締結を早くし、原告による敷金二〇〇〇万円の交付は同年九月一五日とすることを要求し、被告渡邉が賃貸借契約締結と敷金授受は同時に行い、建築開始はその後になる旨申し述べて、右要求を拒否すると、賃貸借契約締結に応ずるかどうか検討するといい出し、同年八月三〇日にも右同様の要求をした。

(二)(1) 島岡は、桑原から本件契約書案が示された日に、静岡銀行に提出するために同銀行備付の書類に押印して欲しい旨申し述べ、平成二年九月三日に、当該文書として静銀文書を被告渡邉に交付したが、静銀文書は、同年一二月一四日までに新築建物が完成しないときは、賃貸借契約が解除され、被告渡邉は、敷金及び保証金を即時全額原告に返還し、さらに原告が被った損害を賠償する旨のそれまで合意されたことのない内容の条項が記載されたものであり、かつ被告渡邉が静岡銀行清水支店に照会したところ、静岡銀行ではそのような文書の提出を原告に要求したことはなく、備付の書類でもないとの返答を得た。

(2) 被告渡邉は、この経緯を同年九月三日中に相川に伝え、相川から緑屋不動産及び新築建物の建築請負工事業者に予定されていた株式会社福地工務店(以下「福地工務店」という。)にさらに伝えられたところ、同月四日午前九時一〇分頃、福地工務店から相川を通じて被告渡邉に対し、「このようなすっきりしない工事は請けられない」として、新築建物の建築工事請負契約の締結を断る旨の連絡があった。

また、同日午前一〇時前に緑屋不動産事務所を訪れた島岡からは、被告渡邉に静銀文書に署名押印させようとした理由につき納得できる説明がなかったため、同日に予定された新築建物を目的とする賃貸借契約の締結には至らなかった。

(3) その後、被告渡邉は、平成二年九月一〇日付内容証明郵便で原告に対し、さらに右同様の説明を求めたが、原告の同月一四日付内容証明郵便による回答は、これに答えるものではなく、原告の要求を押し通そうとする不当なものであった。

(三) 右(一)、(二)の経過及び平成二年九月四日の賃貸借契約締結予定日にも、原告は被告渡邉に対し敷金等の提供をしなかったことにより、被告渡邉は、原告の不審な態度に接し、新築建物を目的とする賃貸借契約を締結することには危険が大きいものと判断して、同年一〇月二日付の御通知書と題する内容証明郵便で原告に対し、右賃貸借契約締結の意思がないことを告知したものである。

すなわち、右賃貸借契約が締結されなかった原因は専ら原告の不誠実な態度にあり、これにつき、被告らが本件協定等を根拠とする債務不履行又は不法行為責任を負うものではない。

三  したがって、本件の主な争点は、

1  本件協定の効力(被告フーズの債務の内容)はどのようなものか。(争点一という。)

2  新築建物を目的とする賃貸借契約の締結に至ったか否か。(争点二という。)

3  被告らに、本件協定違反に基づく債務不履行若しくは不法行為責任、又は右2が肯定された場合に賃貸借契約違反に基づく債務不履行若しくは不法行為責任が生じたか否か。(争点三という。)

4  右3が肯定された場合に原告の損害額はいくらか。(争点四という。)という点である。

第四  争点に対する判断

一  争点一について

1  証拠(甲第一〇五、第一〇七、第一〇八号証、証人寺岡茂弘の証言、原告代表者尋問及び被告渡邉本人尋問の各結果)並びに弁論の全趣旨によると、①島岡は、昭和四八年一〇月に本件建物(石川店)でスーパーマーケットを開業した後、昭和五一年二月には高橋店を開設し、法人成りして経営主体と成った原告は、さらに永楽店、吉川店、駒越店、三保店を順次開設して、一時は六店舗を擁することとなったが、高橋店、駒越店、三保店は業績が上がらなかったため、取引銀行である静岡銀行清水支店の助言により、昭和六三年一二月から平成元年五月までの間に右三店舗を閉鎖したこと、②石川店は、原告の平成元年三月一日から平成二年二月末日までの事業年度(以下、原告の事業年度についてはその開始日の属する年の表記に従って、「平成元年度」のように表示する。)において、三億七八一六万円の売上高及び一六二五万円の経常利益(いずれも一万円未満切捨て)を計上し、昭和五五年度から平成元年度までの一〇事業年度についても、平均約三億九四三一万円の売上高及び一九八一万円の経常利益を上げていて、やや低落傾向にあったものの、概ね安定した業績を上げており、創業時の店舗であったことも併せ、原告の中心店舗とされていたこと、③そのため、平成元年ないし平成二年当時、原告としては石川店の閉鎖を認容するつもりが全くないことはもとより、市道拡幅事業に伴う休業も原告の経営内容に重大な影響を及ぼすものと考え、その休業期間もできる限り短縮したいとの希望を有していたこと、④市道拡幅工事施行による店舗移転の申入れに伴い、清水市から原告に対し提案のあった補償金額は、本件建物自体を拡幅に係る約四メートル分物理的に移転させることを算出の根拠とするものであり、島岡も当初は多額の出費と期間を要する店舗建物の建替えには積極的ではなかったこと、以上の事実を認めることができる。

2  右1の事実に第二の各事実を総合すると次のとおり考えられる。

(一) 原告としては、平成元年ないし平成二年当時、本件建物に対する賃借権を消滅させる意図も経済的理由も全くなかった。清水市の市道拡幅事業による店舗移転の申入れも、原告においてこれに応じなければならない義務はないし、仮に収用されるとしても、その範囲は市道の拡幅分約四メートルの幅に止まると考えられるので、物理的移転により本件建物全体を存続させることは可能であったし、被告渡邉がそうしなかったとしても、必ずしも本件建物全部の滅失を来すものではなかった。したがって、右市道拡幅事業の施行により本件建物に対する原告の賃借権が消滅するものでもなかった(逆に、右市道拡幅事業の施行により、原告が本件建物に対する賃借権に相当する補償を受けられるわけでもなかった。)。

(二) 本件協定は、その内容に照らして、それ自体が新築建物を目的とする賃貸借契約に当たるものでないことはもとより、その当事者である原告又は被告フーズの一方又は双方に予約完結権を付与するような賃貸借予約でないことも明らかであるが、右(一)のような状況下において、清水市の市道拡幅事業を契機として、これに対応するために締結されたものであり、原告において無償で本件建物に対する賃借権の経済的価値を放棄する理由も、被告らにおいて、無償で右賃借権消滅の経済的利得を収める理由もないから、法律上、本件建物の賃貸借と本件協定に係る新築建物を目的とする賃貸借とは別個のものであるとしても、経済的には本件建物に対する賃借権に相当する価値を新築建物に移行させるとするのが、原告及び被告フーズの意図であったものと認めるのが相当である。

(三)  そうすると、本件協定に基づき、被告フーズは、信義則に則り、原告と協力して、原告と被告フーズとの間に、本件協定所定の事項に反しない規模の新築建物を目的とし、本件協定所定の事項を内容として取り入れた賃貸借契約を締結するか、被告渡邉に対し、右同様の賃貸借契約を締結させるべき債務を負担したものであり、右賃貸借契約の締結がなされなかったとしても、被告フーズが右債務不履行の責を負わないのは、原告自らが新築建物を目的とする賃貸借契約締結を放棄したような場合のほか、本件協定所定の事項以外の新築建物の賃貸借契約の内容について、被告フーズが合理的な提案をするにもかかわらず、原告が理由なくこれに応じないで賃貸借契約の内容が確定しなかった場合や、新築建物を目的とする賃貸借契約を締結させる過程において、原告に、仮に店舗建物の賃貸借契約存続中であれば、その解除事由となる程度に重大な信頼関係破壊行為があった場合等に限られるものと解するのが相当である。

また、被告フーズに右債務不履行があった場合の原告の損害の範囲は、本件建物に対する賃借権を喪失した場合などと同様に考えるべきであり、かかる意味で履行利益を基準とすべきものと解される。

(四) なお、原告と被告フーズ又は被告渡邉との間に、新築建物を目的とする賃貸借契約が締結されれば、本件建物に対する賃借権に相当する経済的価値は、新築建物についての賃貸借契約上の権利として、これに移行したものといえるから、本件協定は目的を達して消滅するものと解される。

二  争点二について

一般に、不要式、諾成契約であっても、契約当事者間に、当該契約の内容について合意が成立するとともに、当該契約につき契約書その他の書面を作成することが併せて合意された場合には、特段の事由がない限り、右書面の作成時に契約が成立する(契約締結の意思表示は書面の作成によって行う)とするのが、契約当事者間の通常の意思であるものと解される。

しかるところ、桑原によって本件契約書案が原告代表者の島岡及び被告渡邉に示された際、島岡及び被告渡邉が最終的に平成二年九月四日午前一〇時に本件契約書案への調印(すなわち新築建物を目的とする賃貸借契約に係る契約書の作成)を行う旨約したことは、第二の4の(三)のとおりである。のみならず、証拠(桑原一雄の証言)及び弁論の全趣旨によれば、桑原が書面化した本件契約書案を島岡及び被告渡邉に交付して示した際、同人らは一応これに同意したものの、同人らにおいてこれを持ち帰って、変更すべきことがあれば、これに調印する際に申し出る余地を残したことが認められる。

そうすると、いずれにせよ、本件契約書案が島岡及び被告渡邉に示された際に、同人らの間で新築建物を目的とする賃貸借契約が締結され、又はこれと同様に評価すべき法律関係が形成されたものとはいえない。そして、本件契約書案への調印はなされなかったのであるから、結局、右賃貸借契約は締結に至らなかったものと解するほかはない。

三  争点三について

1  被告フーズの債務不履行責任の有無について

(一) 被告フーズは、本件協定に基づき、右一の2の(三)のとおりの内容の債務を負担したところ、本件協定に基づく新築建物を目的とする賃貸借契約は、原告と被告渡邉との間で締結されることとなったこと、ところが、被告渡邉は、本件契約書案への調印を拒否し、さらに原告と建物賃貸借契約を締結する意思がない旨を原告に通告して、新築建物を目的とする賃貸借契約をしなかったことは、右第二の6のとおりである。

(二) 被告らは、被告渡邉が原告の不審な態度に接し、新築建物を目的とする賃貸借契約を締結することには危険が大きいものと判断して右賃貸借契約締結の意思がないことを告知したと主張し、また、右賃貸借契約が締結されなかった原因は専ら原告の不誠実な態度にあるとも主張する。

そこで、右主張の趣旨に鑑み、右一の2の(三)の説示に従って、被告らの主張する事由が、仮に店舗建物の賃貸借契約存続中であればその解除事由となる程度に重大な信頼関係破壊行為が原告にあった場合に該当するかどうかにつき検討する。

(1) 原告が市道改良拡幅事業に協力しなかったために、被告フーズが本件協定締結に当たって原告の要求に応ぜざるを得なかったとの主張について

仮に、原告が市道改良拡幅事業に対する協力、具体的には清水市からの店舗移転の申入れに対し容易に応ずることをしなかったとしても、清水市からの申入れが原告の任意の応諾を求めるものであり、他方、原告には、石川店の営業継続につき右一の1で認定した事情があったのであるから、原告が清水市の右申入れに対し、石川店の営業を確保する必要上、直ちに応諾せず、あるいは一定の条件を提示すること自体が格別不当であるということはできない。また、被告フーズが原告との間の本件協定を締結する交渉過程で主張の譲歩をしたとしても、その譲歩に係る内容(敷金額の減額及び被告フーズの店舗での野菜及び果物販売の中止)自体が本来は経済的合理性の範囲外にあること、あるいは被告フーズが清水市当局の要請によって原告に早期に清水市との移転補償契約を締結させたいとの意図を有していたことを奇貨として、原告が被告フーズに対し、経済社会において容認される程度の駆引きの範囲を超える方法で、不当な要求を押しつけたものであることなどの事情を認めるに足りる証拠もない。

そうであれば、被告ら主張の右事由が、原告の信頼関係破壊行為に当たるとすることはできない。

(2) 原告が倉庫の面積を要求したために設計作業の開始が遅延することとなったとの主張について

ア 右第二の各事実に、証拠(甲第五〇、第五三、第五四、第五六、第五八号証、乙第二号証、第九号証の二、証人千代良治、同相川幸吉の各証言、原告代表者尋問及び被告渡邉本人尋問の各結果)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、①平成二年三月一五日に、島岡、被告渡邉らが新築建物の建築に関する本件協定後の最初の協議を行った際、新築建物内部の配置(レイアウト)は原告の提案を基に検討することとなり、その後同月二八日の協議の際、原告から業者に作成させた一階部分のみのレイアウト図(甲第五〇号証)が示されて、概ね関係者の了承を得たこと、②そこで、同月二八日の協議に出席した相川は、原告の示した右レイアウト図を基にして、一階平面図(甲第五三号証)及び二階平面図(甲第五四号証)を作成し、同年四月九日に開催された協議の際提示したところ、島岡から原告のバックヤード(商品倉庫その他販売のための作業を行うために必要とする売場以外の建物内の場所)の面積が少ないとの申入れがあったこと、③本件協定においては、新築建物の規模を建坪一八〇坪、売場面積一三六坪とする旨の定めがあったが、被告フーズは新築建物の一階床面積を一六八坪、二階床面積を一二坪とする(したがって、いわゆる建坪は一階床面積と同じく一六八坪となる。)ことを前提として敷地測量などの作業を進めていたこと、④他方、島岡は、バックヤードとして本件協定における建坪と売場面積との差に相当する四四坪分(但し、原告のほか、新築建物において営業する予定の被告フーズ及び鮮魚商店のバックヤードを合計した面積)を一階に確保し得るものと理解しており、右②の申入れも事態がかかる理解に反する進行となったためになされたものであること、⑤右申入れにより新築建物の配置についての合意が成立しなかったため、相川による設計作業の着手も不可能となり、数種の解決策の検討がなされた末、結局、同月二七日に被告フーズが本件協定に従って建坪(一階床面積)を一八〇坪として二階は設置しないことに同意したこと、⑥そして、同年五月一〇日の協議の際、被告フーズの同意に沿って原告が新たに業者に作成させたレイアウト図(甲第五八号証)が示され、関係者の了解を得て、相川は右レイアウト図及びこれを基に作成した平面図(乙第九号証の二)に従って、設計作業に着手したこと、以上の事実を認めることができる。

被告渡邉本人尋問の結果中には、本件協定締結の際に島岡及び被告渡邉の双方とも建坪との用語を延坪の意味に誤解していたと供述する部分があるが、少なくとも島岡に関して述べる部分はにわかに措信できない。なお、原告作成の被告フーズ宛て「新店舗バックヤードの倉庫の件」と題する書面(甲第五六号証、乙第二号証二三丁)には「一階建坪一六八坪と二階建坪一二坪」との表現があるが、これも被告フーズからの提案を引用した部分であるから、被告渡邉本人尋問の結果中の右供述部分を裏付けるものとはいい難い。

イ 右アの認定事実に照らせば、本件協定締結後の交渉過程における平成二年四月九日の協議の際に島岡からなされた原告のバックヤード面積に関する申入れを直接の契機として、相川による新築建物の設計作業の開始が一か月余り遅れたこと、島岡には右申入れを行う時期が遅れた不手際があることが認められるが、右申入れの内容自体が本件協定の趣旨に反するものとはいえず、むしろ、被告フーズにおいて、たとえ被告渡邉が協定中の用語の意味を誤解していたことによるものとしても、本件協定に反する内容で計画を進めようとしたことが、島岡が右申入れをする原因となったのであるから、設計作業の遅延を独り原告の責にのみ帰することはできず、被告フーズにも応分の責任があるというべきである。

したがって、被告ら主張の右事由が、原告の信頼関係破壊行為に当たるとすることはできない。

(3) 島岡が被告フーズに対して平成二年八月二〇日になっても新築建物建築工事の着工がなされなければ、原告が被告フーズに対し訴訟を提起する旨申し述べたとの主張について

右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(4) 島岡が、新築建物を目的とする賃貸借契約締結を早くすること、原告による敷金二〇〇〇万円の交付は同年九月一五日とすることを要求したとの主張について

ア 証拠(甲第三一、第一〇六、第一〇七号証、乙第二号証、証人千代良治、同寺岡茂弘の各証言、原告代表者尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、①島岡は、新築店舗における原告の営業開始を平成二年の年末の繁忙期に間にあわせたいとの強い希望を有しており、また敷金に充てる金員の融資を受ける予定の静岡銀行清水支店からも新築建物建築の着工を急ぐようにとの指導を受けていたことから、被告渡邉に対し、常々右着工及び新築建物を目的とする賃貸借契約の締結を早くするよう申し入れていたこと、②他方、原告は、静岡銀行清水支店に右融資の申込みをしていたが、銀行内部の審査の期間が長引き、融資決定が遅れるとの見通しであったために、平成二年八月二九日頃、およその決裁時期を見込んで、敷金二〇〇〇万円の交付の時期を賃貸借契約締結後の同年九月一五日頃とすることを被告渡邉に申し入れたが、取り合ってもらえなかったこと、③静岡銀行清水支店の融資は、結局、同年九月四日の新築建物を目的とする賃貸借契約の締結予定日に間に合わなかったが、同年八月三一日に拘束担保預金を取り崩すことについて同銀行の承認が得られたため、同年九月四日に敷金を交付するための資金手当が可能となり、島岡は同年八月三一日中にその旨被告渡邉に報告したこと、以上の事実を認めることができる。

なお、甲第二号証中には、平成二年八月二九日に、被告渡邉から建築工事契約の締結が敷金受領の三日後となる旨の説明を受けた島岡が、賃貸借契約の是非につき検討したいとの発言をした旨の供述記載があるが、甲第一〇七号証に照らし、また、その時点で原告が置かれている状況から推して、右供述記載は到底措信しがたい。

イ 右アの認定事実に照らせば、島岡は常々被告渡邉に対し新築建物を目的とする賃貸借契約の締結を早くするよう申し入れていた事実が認められるが、右一の1で認定した事実関係に照らせば、原告として、そのような申入れをすることは当然であり、またその申入れ自体が原告の信頼関係破壊行為に当たるとすることもできない。

また、右アの認定事実に照らせば、島岡が、銀行融資の都合で敷金二〇〇〇万円の交付の時期を賃貸借契約締結後の同年九月一五日頃とすることを申し入れたことも認められるところ、通常、賃貸借契約においては敷金の授受は契約締結と同時になされるが、賃貸借契約締結に遅れる例がないわけではなく、また、その申入れに係る交付時期は契約締結から半月程度遅れるにすぎないのであるから、島岡の右申入れは、多少虫がいいという程度のものであって、不当という程のものではなく、これが信頼関係破壊行為に当たるものとは到底いい難い。

(5) 静銀文書に関する主張について

ア 証拠(甲第一〇六号証、証人寺岡茂弘の証言、原告代表者尋問の結果)及び弁論の全趣旨によると、①平成元年六月に静岡銀行清水支店長に就任した寺岡茂弘(以下「寺岡」という。)は、就任後原告の取引銀行の支店長の立場で原告の経営に関し助言を与えていたが、石川店移転の問題についても、本件協定締結以前より原告からの相談を受けており、また敷金に充てる金員の融資申込みを同支店が受けたこともあって、原告に対し種々の指導をしていたこと、②寺岡は、平成二年八月三一日に、島岡から本件契約書案を示され、これを検討した結果、原告が新築建物を目的とする賃貸借契約の締結時に被告渡邉に対して計二〇〇〇万円の敷金及び保証金を交付するのに、本件契約書案においては、新築建物が完成するまでの間の右敷金等の保全がなされていないと考え、島岡に対し、本件契約書案を補完するものとして、被告渡邉との間で右敷金等を保全する書面の作成をするよう指導したこと、③そこで、島岡が小長井良浩弁護士の指導の下に作成された静銀文書を同年九月三日に静岡銀行清水支店に持参したところ、寺岡は、これが同人の指導の内容に沿い、かつ経済取引において常識的な内容の文書でもあると判断したこと、④その後、被告渡邉から原告宛ての平成二年九月一〇日付内容証明郵便に対する返答として、原告が同月一四日付内容証明郵便を被告渡邉に宛てて発出するに当たり、寺岡は事前にこれを読んで適当な内容であるものとの意見を述べたこと、以上の事実を認めることができる。

(なお、付言するに、証人寺岡茂弘は、右に認定したとおり、島岡から本件契約書案を平成二年八月三一日に示された旨証言し、また、その日付に関する根拠として、平成二年九月一日は土曜日、同月二日は日曜日であって(これは公知の事実である。)、いずれの日も銀行は休業していることを挙げるところ、右証言は合理的であって信用することができる。そうすると、右第二の4の(三)の島岡、被告渡邉らが緑屋不動産事務所に参集し、桑原から本件契約書案が示された日が平成二年九月一日であることはあり得ず、同年八月三一日であったものと認めるべきである。)

他方、証人千代良治の証言及び被告渡邉本人尋問の結果中には、同年九月三日に島岡から静銀文書の交付を受けた被告渡邉が静岡銀行清水支店に電話で問合わせをしたのに対し、同支店で原告を担当する行員が、静岡銀行ではそのような書面を出すことを求めた覚えがないとの返答をしたとか、原告の取締役専務である林功が、静銀文書は島岡が勝手に作成したものであると述べて被告渡邉に謝ったとかとする供述部分があるが、右認定事実及び甲第一〇五号証に照らしていずれも措信できない。また、右証言及び尋問結果中には、右第二の5のとおり、本件契約書案が示された日に島岡が静岡銀行から権利保全のための文書の作成を提言されている旨伝えた際に、当該文書を銀行備付の書類などと表現した旨の供述部分があるが、これもにわかに信用できない。

イ 被告らは、静銀文書に関し、島岡が静岡銀行に提出するために同銀行備付の書類に押印して欲しい旨申し述べたとか、被告渡邉が静岡銀行清水支店に照会したところ、静岡銀行ではそのような文書の提出を原告に要求したことはなく備付の書類でもないとの返答を得たと主張するが、この主張が失当であることは右アのとおりである。

ウ また、静銀文書に、平成二年一二月一四日までに新築建物が完成しないときは、賃貸借契約が解除され、被告渡邉は、敷金及び保証金を即時全額原告に返還し、さらに原告が被った損害を賠償する旨の条項が記載されていることは右第二の5(別紙二)のとおりである。そして、島岡が静銀文書を被告渡邉に交付する際に、その内容についての説明が不足していたことは否めないが、右第二の5のとおり、島岡は同年八月三一日に被告渡邉に対し、静岡銀行から権利保全のための文書の作成を提言されている旨、文書の趣旨については概略口頭説明しているのであり、かつ、甲第二号証によれば、本件契約案に、新築建物が賃貸借期間の開始日に至っても建築されていなかった場合の敷金及び保証金の取扱いを含めた処理方法について記載がないことが認められるから、寺岡が原告に対し、かかる内容の文書の作成を指導したこともそれなりの合理的な根拠を有するものである。この点につき、証人千代良治の証言及び被告渡邉本人尋問の結果中には、島岡及び被告渡邉らの協議中に、被告渡邉から、新築建物の完成が遅延した場合、締結予定の建築工事請負契約に基づいて注文主である被告渡邉が建築業者である福地工務店から収受することになる一日当たり七万円の違約金を、そのまま原告に交付する旨の発言があったとの供述部分がある。しかし、この被告渡邉の発言内容が約定として書面化されたことを認めるに足りる証拠はない上、右証言及び尋問結果によれば、右の被告渡邉の発言そのものが議論中に安易になされたものであることも窺われ(被告渡邉は「面倒くさいから」そのように言った旨供述する。)、右の被告渡邉の発言があったからといって、それだけでは寺岡のした配慮が不要であったとはいい難い。

そうすると、被告渡邉としては、静銀文書の内容に不審があったとしても、少なくとも、その旨を島岡に告げ、島岡の説明を受けてさらに協議を尽くすべきであったのであり、被告フーズが被告渡邉にそのようにさせるべき本件協定上の債務を負っていたものと解するのが相当である。

したがって、島岡が静銀文書を被告渡邉に交付したことも直ちに信頼関係を破壊する原告の行為であるものとはいい難い。

エ 被告らは、さらに、静銀文書につき、平成二年九月四日に島岡から納得できる説明がなかったため、同日に予定された新築建物を目的とする賃貸借契約の締結には至らなかったとか、被告渡邉の同年九月一〇日付内容証明郵便に対する原告の同月一四日付内容証明郵便による回答は、被告渡邉の求める説明に答えるものではなかったとか主張するが、右アの認定事実に第二の6の各事実を併せ考えれば、被告らの右各主張は、同年九月四日に関するものも、その後の内容証明郵便によるやりとりに関するものも、島岡ないし原告がしたそれ自体事実に即した説明が虚偽であることを前提としたものであることは明らかであり、失当というほかはない。

(6) 敷金等の提供がなかったとの主張について

被告らは、平成二年九月四日の賃貸借契約締結予定日に原告が被告渡邉に対し敷金等の提供をしなかった旨主張する。

しかし、右(4)のアの認定事実に証拠(甲第八二号証、証人寺岡茂弘の証言、原告代表者尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、①原告は同年八月三一日に拘束担保預金を取り崩すことについて静岡銀行清水支店の承認が得られたため、同年九月四日に敷金等二〇〇〇万円を交付するための資金手当が可能となり、島岡は同年八月三一日中にその旨被告渡邉に報告したこと、②そして、島岡は、同年九月四日の賃貸借契約締結予定時間前に同支店に赴き、同支店から額面一九〇〇万円の自己宛預金小切手の振出を受ける手続を完了したことを含め、二〇〇〇万円の資金の準備を整えたことが認められ、この事実に、右第二の6の(一)のとおり、被告渡邉が同日午前九時四〇分頃に桑原を介して同支店にいた島岡に電話し、さらにその直後緑屋不動産事務所に赴いた島岡に対し口頭で、同日に予定されていた本件契約書案への調印、敷金及び保証金の授受を拒否する旨を通告した事実を併せ考えると、原告は、同日右敷金等二〇〇〇万円の現実の提供をしなかったとしても、その履行の提供というに足りる程度の準備を行ったものと解することができる。

したがって、被告らの右主張も失当である。

(三)  右(二)のとおり、被告らの主張する事由は、仮に店舗建物の賃貸借契約存続中であればその解除事由となる程度に重大な原告の信頼関係破壊行為に当たるものとはいい難い。

そして、他に、原告と被告フーズ又は被告渡邉との間に新築建物を目的とする賃貸借契約の締結がなされなかったことにつき、被告フーズが本件協定に基づく債務不履行の責を負わないとする事由の主張立証はないから、被告フードは原告に対し債務不履行の責任があるものというべきである。

2  被告渡邉の不法行為責任の有無について

被告渡邉が被告フーズの代表取締役であり、被告フーズを代表して原告代表取締役の島岡と交渉した上、本件協定を締結させたこと、本件協定に基づく協議により締結されることとなった新築建物を目的とする賃貸借契約は被告渡邉を貸主とするものであったこと、被告フーズは元来被告渡邉の個人事業が法人成りした会社であって、原告及び被告らは、新築建物の貸主が被告フーズとなるか被告渡邉個人となるかを、本件協定の締結当初から全く問題としていなかったことは右第二のとおりであり、また、原告と被告フーズとは経済的には本件建物に対する賃借権に相当する価値を新築建物に移行させる意図をもって本件協定を締結したことは右一の2の(二)のとおりである。さらに、弁論の全趣旨によれば、新築建物を目的とする賃貸借契約において被告渡邉が貸主となったことは被告ら内部の事情によるものであって、原告の意向によるものではないことが認められる。

右事情の下においては、被告渡邉は、本件建物の解体収去によって生ずる原告の賃借権喪失の経済的損失は、新築建物を目的とする賃貸借契約の締結により填補される関係にあったこと、また、右賃貸借契約が被告渡邉を貸主として締結されることとなった以上、仮にこれが締結されなければ、右の原告の経済的損失の填補の可能性は直ちに失われることになることを知りながら、右賃貸借契約の貸主の地位に就くこととしたものと認められ、そうだとすると、本件建物の解体収去後に、被告渡邉において新築建物を目的とする賃貸借契約の締結を拒否したことは、正当な理由がない限り、原告の本件協定上の地位ないし原告の取得すべき賃借権を侵害する不法行為となるものと解するのが相当である。

しかして、右1の(二)で認定した各事実によれば、被告渡邉が新築建物を目的とする賃貸借契約の締結を拒否したことについて正当な理由は存在しないものと認められるから、被告渡邉は原告に対し不法行為責任があるものというべきである。

四  争点四について

1  右三の1の被告フーズの債務不履行及び同2の被告渡邉の不法行為によって原告に生じた本来的な損害の範囲は、特段の事由のない限り、新築建物を目的とする賃借権を取得できなかったことによる損害、すなわち、当該賃借権の価額相当額(但し、これを取得できなかったことにより免れた出捐があるときはこれを控除すべきである。)と、新築建物と同程度の建物を他に賃借するまでに通常要する期間の逸失利益とによって構成されるものと解するのが相当であり、本件では右特段の事由に当たるものと認められる事情を認めることのできる証拠はない。

2(一)  しかしながら、本件において、新築建物を目的とする賃借権の価額については何らの主張立証もないから(加えて、原告は、賃貸借契約が締結されなかったことにより、敷金及び保証金相当額二〇〇〇万円の出捐(資金の固定)を免れた。)、かかる損害の存在を認めることはできない。

(二)  逸失利益は、右1のとおり、同程度の建物を他に賃借するまでに通常要する期間の範囲で算定すべきであり、それを超えて予定賃貸借期間等によるべきものとは解されない。また、逸失利益算定の基礎となる額は、本件建物により営業をしていた石川店の平成元年度経常利益額(右一の1の認定のとおり一六二五万円)によるものとすることが合理的である。

もっとも、新築建物はスーパーマーケット店舗という特殊用途に供されるものであり、また、建坪一八〇坪(約六〇〇平方メートル)という規模の大きいものである上、性質上、立地条件による制約があるものと解されるから、仮に原告がこれと同程度の建物を他に求めようとしたとしても、多大な困難が伴うことは容易に推認しうるところである。したがって、その期間は二年間とすることが相当であり、ライプニッツ方式により年五分の中間利息を控除して(二年間の計数1.8594)、現価額を算出すべきである。これによれば逸失利益額は三〇二一万円(一万円未満切捨て)となる。

3  原告は、石川店喪失による取引先等の原告に対する信用の失墜等に伴う損害三〇〇〇万円が生じたものと主張する。

しかし、仮に原告に信用の失墜等の事態が生じたとしても、その損害は右2の損害のうちに含まれるものと解するのが相当であり、したがって、これを独立の損害として考慮することはできない。

4  右2の損害認容額その他の事情に照らせば、弁護士費用は三〇〇万円とすることが相当である。

5  損害額合計三三二一万円

第五  結語

以上によれば、原告の本件請求は、被告らに対し連帯して三三二一万円、並びにこのうち弁護士費用相当額を除く三〇二一万円に対する平成二年一二月一五日から支払済みまで被告フーズにおいては年六分の割合、被告渡邉においては年五分の割合による遅延損害金の、弁護士費用相当額三〇〇万円については同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。

(裁判官石原直樹)

別紙協定書〈省略〉

別紙契約書〈省略〉

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